ルッキズム
1970年代にアメリカで、体型の多様性を尊重する「ファット・アクセプタンス運動」から生まれたとされる「外見至上主義」ですね。
性別に関わりなく、、、、とか、(性別とはかなり曖昧な定義である)
あなたらしく、、、とか。(ストーリーを求められる)
最適解のように目にするようになった「ボディポジティブ」(みんなちがってみんないい的)一択な捉え方にはいささか、
私は違和感が強いです。
それはなぜか?
社会(現状)や個人の嗜好は、そうではないからです。
自分どころか、他人もありのまま認めよ。ということ自体が、アンコントロールで不要な感覚ではないでしょうか。
ルッキズムの呪いに苦しむ人が、日本でも若齢化し、後を経たない理由もまた、社会のキャンペーンと現実との齟齬に絶望を感じてしまうのだと思います。
他人に対する発言や行動は、生死に関わらない以上は、思ったままをぶつけることなく、相手との境界を意識し、距離感を誤らないように、細心の注意を要するコミュニケーションであることが望ましい。
その訓練を幼児期や学童期にどれだけ丁寧に経験できるか?自ら考える力をどこまで養ってもらえるか?その保育や義務教育を、税金を使って、この国が子どもたちへ実行できているのか?
一昔前まで、「スカート」が選挙活動時の女性の正装で、極寒の中、長時間立ちっぱなしの野外演説に身体を壊し、お腹の子を失った議員さんが居ました。
大切なことを見誤らない国であって欲しい。選挙権のない17歳以下の子どもたちや、これから生まれてくる子どもたちへ、大人が命をかけて、子どもたちの命と未来を守る姿勢を見せられる社会であって欲しい。
耳障りのいい言葉に惑わされることなく、正解のない社会の問いに誠実に向き合い考え続け、国民と対話して解決しようとしてくれる人は誰なのか?
正しく疑う力を損なわずに、投票に臨みたいと思います。(衆院選に700億円かかるとは知りませんでした。)














